快適オケラ生活 第6話

快適オケラ生活 第6話

最悪の環境で生息する昆虫たち

 さてさて、問題の発見場所だが、ギャラリーから、またクルマで5分ほど移動。兄に指定された場所は、民家と田んぼに囲まれた駐車場だった。といっても、ただ砂利が敷かれた広いスペースで、駐車場というよりは空地。ここにオケラが生息しているとは想像できない。
「その辺にクルマを停めて」
という兄の指示に従い、民家(といっても豪邸なのだが、塀がないので境界線がハッキリしない)の前に駐車する。
「そこ、そこ。その側溝」
と指差す先には、確かに側溝がある。民家の敷地と駐車場の境界線のように、小さなコンクリート製の側溝が直線に延びていた。田舎道にある大きな側溝ではなく、都会でも見られるような、子どもが落ちることもできないほど狭くて、浅い溝である。U字溝というのか、日曜大工でも作れそうだ。

目撃場所はコンクリートの側溝


「え、ここ?」
 一抹の不安はあったものの、兄は既にクルマから降りて、向かっていた。遅れてはならない、という負けず魂が働き、自分も慌ててクルマから降た。そして、いつもクルマに保管していた100円ショプで購入したシャベルと虫かご(もちろん飼育用のプラスチック製)を持ち、後を追った。疑念はあったが、以外とこんなところにいるという情報が脳裏にあった。そう思うと、期待が膨らんでくる。「何年ぶりの再会だろうか」いや、もし捕獲できなくても、採集を試みたという事実だけでも満足感は得られる自信はあった。
 側溝を跨いでしゃがみ込んだ兄が、
「ここなんだけど、水がないなぁ」
と、少し不安げな顔で見下ろす。
 傍に寄って、覗き込むと、水が流れていないのはもちろん、溝の底には1cm程度の乾いた泥がへばりついているだけ。とても、こんなところに昆虫が棲んでいるとは思えない。兄はしゃがんだままの姿勢で移動して、その側溝の最終地点を覆っていたコンクリートの蓋を外しに掛かっていた。想像以上に重かったのか、思わず声を上げてしまうものの、手伝うという考えは浮かばなかった。それでも一人だけで、コンクリート板を側溝の横へと移動させる。瞬間、もうドブとしかいえない不快な臭気が届いた。側溝は、排水溝へつながっていて、排水溝から1メートル辺りまで黒いコールタールのような泥が溢れている。
 これは硫化水素の臭い。海水魚飼育を思い出す。自然に近い環境のナチュラルスシステムという飼育方法は無酸素状態の嫌気層をつくらなければならないが、バランスを崩すと、この硫化水素が水中へと放出される。そのとき、この臭いが充満する。海水魚を死に追い込むほどの毒性が強いガスだ。それが排水溝から雪崩れ込んだ泥濘から湧き出ていた、それは生物が棲息することはおろか、10秒も生きられない死の空間だ。簡単に言うと魚が腐ったような臭い、ただのどぶ川だ。こんなところにオケラがいるのだろうか?
「その辺掘ってみな」
 疑わしさで一杯の自分に、兄は平然と指示を出した。一瞬、表情を窺ったが、平静としている。きっと、以前見つけたときも同じような状況だったのだろう。
 仕方なく、固めの泥の上に片足を下ろし、少しやわらかめの泥をシャベルでひっくり返してみる。
「こんなところにいるの?」
 独り言のように文句を呟きながら、すくい上げた泥の塊を砂利の上に広げた。「こんなところにいるわけがない」と思いながらも、シャベルの縁でゆっくり粘土状の泥を広げ、目を凝らした。何もいない。鼻腔を突く臭気が広がるだけだ。

昆虫採集というより泥救い


 それでも、もう一回、少し場所をずらして泥をすくってみる。そして、砂利の上に広げ、目を凝らす。同じ行為の繰り返しになるが、川や沼で生物を採集するときは必ず行わねばならないので、飽きたり、苦になったりしない。ただ不安なのは、本当にこの環境で生きている昆虫がいるとは思えなかったことだ。そんな想いを抱きながらも、臭覚が硫化水素に反応しなくなる程度の時間が経過した頃、薄く広げた泥んこの中に何か動く物体を発見。「もしかして?」と期待が一気に膨らむが、兄が手にしていた小さな枝で何気なく、その生物らしきものを突付く。
「ヤゴだな」
 確かにヤゴだった。それも結構小さい部類だ。正式名は分からないが、虫けらの逞しさが溢れていた。こんな環境でも棲息している虫がいる。それは、オケラ発見への期待につながる。
「こんな所で生きているんだ。一体何を食べているのかなぁ」

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