快適オケラ生活 第7話

快適オケラ生活 第7話

人生二度目の生体との出会い

 勢いに乗り、また泥をすくっては砂利の上に広げる行為を繰り返していると、泥土を取り除いた側溝の底に完全な姿をした昆虫を目撃する。
「あ!」
 思わず声が漏れる。その声に気付き、兄が視線を向ける。
「それ、もしかして、そうじゃないの?」
 そうだ。確かにオケラだ。かなり小さいがオケラそのものだ。捕獲した個体はまだまだ幼く、羽も生えていない。恐らく4玲ぐらいか。クワガタや蝶などの完全変態と異なり、オケラはバッタの仲間なので不完全変態。生まれたときから、親と同じ姿という点では人間と同じ。成体になるには、脱皮を8回ほど繰り返すらしい。ただ、この幼体、先ほどのヤゴと異なり、泥も土もまとわりついていない。奇跡の姿で、泥濘に佇んでいる。
「あれだな、産毛があるから、泥がつかないんだ」

久々に再会したオケラ。泥の中でも見事に水をはじいて綺麗な個体だ


 その言葉にかつてネットで見た情報が甦る。泥にまみれて原形を留めていないヤゴに比べ、そのままの姿をこの環境の中で難なく維持している機能に感心してしまう。やはり、求めていた憧れは、他の昆虫とは違う。
 最初はおとなしかったが、この虫は結構素早い。掌の上で撮影しようとしたとき、カメラを構える隙を全く与えてくれない。土にもぐるだけでなく、地面を走る早さも優れているのだろう。そう言えばオケラは、土をもぐることも、空を飛ぶことも、泳ぐことも、そして地面を疾走することも秀でた最強の昆虫らしい。ただ、日本には「螻蛄(ろうこ)の才」というオケラを嘲笑う言葉がある。これは、オケラは飛ぶ・登る・泳ぐ・掘る・走ることは出来ても秀でたものはないという意味らしい。飛ぶのと泳ぐのは不明だが、走るのと掘るのは十分自慢できるレベルだ。まあ、人間が勝手に当てはめたに過ぎないのだが。因みに同じような意味の「二兎を追う者は一兎をも得ず」は古代ロ-マの諺。ローマびいきとしては何か親しみを覚える。

採集した一匹目は幼体だった untitled


 側溝の傍にあった水路跡のような湿地、というか泥濘にも棲息しているような予感がしてきた。暫く泥をひっくり返していた側溝を諦め、同じく泥濘となっている水路跡に移動した。水路と思ったのは、砂利だけの広場とアルファルトの駐車場との境に菖蒲かアヤメのような植物が並んで植えられていたからで、実際は何のためにあるのか不明ではある。その長さ10メートル程度の長さの空間は他の植物も生い茂っており、湿地というイメージが当てはまっている。その中心に伸びる泥濘にはセリが生えているのだから驚き。やはり山地。セリがあるためか、先ほどの排水溝のような臭いはしない。泥沼は深かったものの、勇んで掘り起こしはじめた。勝手に人の土地での作業だったが、全く気にならなかったのは、やはりのどかな田舎の影響だろう。

砂利とアスファルトの駐車場を
横切る水路からも発見


 その水路(と言っても水はなく、ただの泥濘)は側溝と違い、探索範囲が広い。そして深い。やたら滅多に掘っても発見するのは難しいはず。一匹目を簡単に捕獲したが、オケラ採集で一番難しいのがこれ。とにかく棲息可能な環境が広く、目印も目標も設定できないこと。手に持っているシャベルは頼りなく、いっそのことスコップで掘り起こさないと無理のような気がする。ぼやいていても仕方ない、とにかく手を動かせ。黙々と泥を掘っていると、なんと水が沸いて出てきた。これは飲めるのではないのか、と思えるほどきれいな水では全くないが、勢いよく溢れたために辺りが水溜り状態。靴の中に水が入ってきて、慌ててその場から避けるが、その水の中から一匹のオケラを発見。泳ぐ姿は見れなかったが、動きが早く、水のない泥に潜ろうとする。慌てて、シャベルで動きを止め、手で捕まえる。二匹目ゲット(古い・・・)。もう、靴の中が濡れているのも忘れ、満面の笑みでケースに放り込んだ。
 調子に乗り、続けて30分ほど、水路→側溝→水路→側溝と探索を続けたが、その後の収穫はなく、雨も降ってきたことから、その日は諦めることにした。しかし、初日で二匹も捕獲できたのは、かなりの満足だ。

二匹目も幼体。季節なのだろう。

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